その七拾六 人生に熊野を・・・!
【人生に熊野を・・・!】
 前回は、いよいよと地球規模で「禊」が始まり出した、「辛卯年」の大転換の環境変化に対して、「備えあれば憂い無し」のこころで、臨むことが肝心だとお話しました。今回は、自らのこころの環境を調和させる為に、一体何を備えなければならないか?をお伝えします。

人生に熊野を
人生に熊野を
●こころを捨てて白紙に・・!
 「備え」と言うと、すぐに防災や防犯など、人間は自分から外側にあるモノや人からの防御安全を考えるのが世の常ですが、そこに大きな落とし穴があります。それは、内側(自分)と外側(環境)を分離し、いつも内から外を見る習慣が、経験的に付いてしまっているので、自我と言う殻は固いのですが、内側の備えがとても弱いのです。
 こころは、いつもコロコロと自分の欲望によって変わる不安定なものですが、「幸せになりたい、夢を叶えたい、愛されたい・・」と、こころの不安からつながりを、外側に求めるのが現状です。しかし「幸せの青い鳥」のお話のように、気が付かねばいつまでも繰り返し「青い鳥」を探し続けていなければならなくなります。こころが決めている「善や悪、優や劣、幸や不幸、上や下・・・」の価値観が、今の自分や地球の環境を創り出しているわけで、今、地球規模で「禊」として問われているのは、内側つまり自分自身の揺れ動く分離したこころを、今この時点で白紙に戻せるか?なのです。
●なぜ今、熊野なのか・・!
 誰もが幸せになりたいと思うにも関わらず、昨今これだけ人心が乱れ、争いが絶えず、世が荒廃すると言う終末的世界は、 幸せになりたいと言う想念の方向が、間違っていたのではないでしょうか?また、携帯などのIT革命で、誰もがいつでも緊密なコミュニケーションが取れるようになっているにも関わらず、孤独や疎外感が溢れる社会は、いのちの深さを忘れた生き方が、浅かったのではないでしょうか?
 かと言って、日常に身を置いていると目先に囚われ、人が集まると欲得損の我が必ずどこかから出て来るものです。お題目を掲げる集まりも、百年も続いているものは稀で、人が集まるだけで、かえって自分の内側を見つめるチカラを、分散させてしまいます。 その意味でも、日常の迷縛から離れ、大自然の息吹を受けて、一心不乱に自分を見つめて歩くことに専念できる熊野古道は、まさに「こころを白紙に戻す道」だと言えます。さあ!千年前の先人達が、残してくれたこの「再生の道」を歩いて、人生に熊野を取り入れ、こころのさらに奥深くにある御魂を磨きましょう・・!
 

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