その七拾 生々流転のリズム
【生々流転のリズム】
 前回は、この地球上に生まれて生きている私たちは、三次元と言う物質原理にとらわれ、それゆえに不自由な中にも「人生の真理」を見いだす事に、大変深い意味があると言うお話をしました。今回は「生々流転のリズム」についてお伝えします。

生々流転
生々流転
●熊野の地から現れた「生流」
 もう30年近く前になりますが・・。根の国熊野・玉置山の山中で、大地に一枚の大きな和紙を敷いて二人の人が両端に座り、一本の竹の棒切れの真ん中に垂直に一本の筆をT字型に縛って、呼吸を整えて一気に描き出し現れた文字が「生流」の二文字でした。
 おおよそ何を描くかも?知れない状態で、二人の人がひとつの文字を書く事は至難の技であり、しかも現れた文字は、生きて流れるような味わいのある書・・・。後に、この「生流」の意味が「生命潮流」と「生々流転」を表わしていることに、気付きますが、まさに生命を再生循環する熊野の地の持つエネルギーの為す技だと感じています。
●古代から連なる生命潮流
 私たちの命は、遺伝子によって次の世代へと引き継がれています。必ず生みの父母がいて、そのまた祖父祖母がいて・・・と、延々と命はつながり、20代(約600年)も遡れば、その先祖の数は100万人、30代(約900年)も遡れば、何とあなたがこの世に生まれるために、1億3000万人の日本の人口に匹敵する先祖が生命潮流として背景に存在するのです。ちなみに、古墳時代の日本の人口は540万人と言われています。
 そうして考えてみれば、一人ひとりは、大いなる生命からの隣人として、確かにつながっていると思って良いのではないでしょうか。しかし私たちが認識している生命の潮流は、大半がせいぜい祖父母の顔ぐらいまでしか実感していないのです。
●生々流転の遺伝子の情報
 目に見えない、会ったこともない生命の先祖たち・・・三次元的な仏壇やお墓にお参りすると、目に見える形にとらわれがちで、自分より外側に先祖を感じる意識が向かいますが、そこでそれを、ひとつの入り口としてとらえて見ては如何でしょうか?
 生命をつないできた遺伝子の中に、自分の過去すべてが詰まっていて、自分の内側に確かな今として「生々流転の情報」が記憶されているのです。母親から生まれ出てへその緒が切られた瞬間から、個体として遺伝子の記憶が反転しますが、その遺伝子の記憶を取り戻すと本来の「生々流転のリズム」に、ふと気付くことができます。
●熊野は生々流転リズムの入口
 蟻の熊野詣でに見られるように、古代より「甦りの地」として、生命の再生循環の機能を果たしてきた紀伊半島の熊野三山。今、この熊野三山の中心の玉置山を入り口としてさらに、四国の剣山、播磨の千が峰と、一辺160kmの正三角形をなす、古代に失われたトライアングルが浮かび上がっています。
 それは、自分の内側の宇宙を感じる事ができる新しい心の大紀行。そこには遥か彼方の宇宙の果てから、私たちの細胞の一つひとつに至るまでつらなる、一定の「生々流転のリズム」が連綿と流れているのです。

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