その七拾四 鏡の波長
【鏡の波長】
 前回は、勇気を持って過去の価値観や自分を捨て去り、一から新しい自分を創造するためにも、自らの中の「剣」の波動を今こそ発動しましょう!と言うお話をしました。今回は、心を映し出す三種の神宝のひとつ・・・「鏡」についてお伝えします。

導きの光
導きの光
●三種の神器「鏡」とは・・・!
 神々の時代の天孫降臨の時に、天照大神から授けられたとする「玉・剣・鏡」を指して三種の神器(さんしゅのじんぎ) と言います。日本の歴代天皇が継承してきたとさ れる三種類の宝物がこれで、その鏡を「八咫鏡(やたのかがみ)」と言います。
 古事記や日本書紀の神話では、天照大神が天の岩戸に隠れた岩戸隠れの際、石凝姥命が作ったという鏡。天照大神が岩戸を細めに開けた時、この鏡で天照大神自身を映し、興味を持たせて外に引き出し、そして再び世は明るくなったと伝えられています。のちにこの鏡は、天照大神が瓊瓊杵尊(ニニギ)に授けたと言われています。神様の依り代の一つとして、鏡(カガミ)はありのままを表わしており、映し返しのはたらきを意味しています。
●鏡に秘められた意味・・・!
 もともと「鏡」は、「監」が語源でその意味は、水を張った皿に映る景色を、人がかがんでじ〜っと覗き込んでいる姿を表わしています。自然界で言えば、静かな池や水たまりに周りの景色が、映り込んでいる状態です。後に映すモノを金属で作ったので、金+監の「鑑」・・・つまり「かんがみる」になりますが、そこに映っている虚像をどう捉えるか?が大変重要なのです。
 また、神社にはどこでも必ず円い「神鏡」が祀ってあります。神様に向かって手を合わせ祈る時に、そこに映っている「自分の姿をよく見なさい!」と言うことで、日々の心が曇っていると鏡も曇り、逆に正々堂々と心が晴れていると、鏡には一点の曇りもありません。その意味でも、困った時の神頼みのような、ご利益信仰は意味ないことかと思います。   
●鏡は神と出会う装置・・・!
 千年前に人生の再生を目指して、命がけで遥か熊野を目指して、ゾロゾロと歩いて行った庶民の姿を例えて「蟻の熊野詣で」と言いますが、「自我を持った蟻」が、日常を離れ自然の中で自らを映し出し、そこに映る自分の「ガ=我=我良し」を消す・・。つまり「カガミ−ガ(我)=カミ(神)」として、導きの光りに触れ神仏に近づき、生まれ変わったのだと思います。

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