【熊野通信】その弐拾五 《自らのそのままに》
 前回は「自分を離れて、自分をもう一度見つめ直す」ことの大切さをお話ししました。人生の歩みは、山あり谷あり・・良いことも悪いことも、誰しも栄枯盛衰の「大いなる仕組み」の中に生かされてあるのです。
●じっと目を自らの内に向けて・・!
 自らという言葉は「自分」にも「自然」にも入っています。その自然とは「自らのそのままに」と言う意味があるのです。大自然は、真理に沿ってすべての生命が連鎖し、ありのままに共生循環しているのですが、その中で私達人間だけが、「言葉」と「お金」を巧みに使い高度な知恵を働かせて、我がもの顔に自然の仕組みを都合良く変えて利用してきました。しかし元々、自然が私達を創ったのであって、本末が転倒しているがゆえに、結果として私達は、生存環境を失うところまできているのです。
●自然の仕組みに学びましょう・・・!
 陽の光によって温められた海の水は、水蒸気となって空へ舞い上がり、雲となって野山へ運ばれてきます。そして気まぐれに風に乗ってぶつかり合った水蒸気は、雨や雪となって地上に舞い降りて来ます。野山に降った雨は、与えられた大地にそれぞれがしみ込んでいき、時を経て岩の間からまた浸み出て、右に左に自在に添いながらもひとつの流れを見つけだし、名もない小さな川となっていきます。
 またその小さな無数の川は、土や葉っぱや小石を押し流しながら、常に低きをめざして集まり、いつの間にか揺るぎない自らの流れをつくり、やがて大河となって海に注いでいきます。
●本来の自然の流れにまかせて・・・
 前にも記しましたが「自分の人生」をよく見てみますと、元々自分が創ったせっかくの人生のプログラムに対して、目先の欲得損や利害・打算で、自分が有利になるよう思案投げ首し、頭であれやこれやと考えて結局のところ「自分自身に流されている」ケースが多いようです。自分に流されない為にも、自分を離れて客観的に自分を捉えられるようになることなのです。そもそも熊野詣ではそのために自然の仕組みに学ぶ「祈りと人生再生の道」だったのです。さあ、そのことを問いながら「現代の熊野詣で」を、共に楽しみましょう。
NPO法人 熊野生流倶楽部 代表 満仲雄二
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