【熊野通信】その弐拾六 《自らの未知への歩み》
 師走・・・忙しい日常が続く中でも、一年の「自らの道の歩み」を締めくくる時期になりました。あなたは、あなたが選んだ「自らの人生の道」を、この一年間、悔いなく歩むことができましたでしょうか?
●未知と言う道との遭遇・・・!
 道と言ってもさまざまな道があり、道にはそれぞれ役割があります。もともと人の歩くところは「径(みち)や道(みち・タオ)と言って、万葉の道や京都の哲学の小径など、人がゆっくりと踏みしめて歩くところを表しました。
 しかし、鉄道の線路や便利な自動車が往来をはじめてからは、流通と移動のための機能的で広い舗装された「路(みち)」や、目的地に一直線に続く「途(みち)」が多く作られ、未知への気配や出会いがある「熊野古道」のような、自らが踏み分けてじっくり歩く道が、少なくなってしまいました。私たちの人生の道も同じで、手間暇をかけずに手っ取り早く結果を求めたり、まわりにばかり目が奪われ「本来の自分という未知」を見つめる力が弱くなり、自分がわからなくなっていないでしょうか?
●道を求めることは、自らを見つめること!
 日本にはもともと、精神文化としての「道」が沢山あります。茶道や華道、香道や書道、柔道や剣道、武士道や合気道・・・修験道と、挙げれば暇がないぐらい精神をも含めて鍛錬する道が古くから伝えられています。その道に入り、自らが道を歩むことによって、道理に照らして自分自身をしっかり見つめ直し、自分を磨くことによって、その型とこころや技術が習得されるのです。
 「道」の字を分解すると「首」さらに「自ら」と言う字が入っていますが、まさに未知の事に向かって、自らが主体性をもって歩んでいくための「意識の道」と言えます。その意識を高めた時そこに、自律や自由、自治や自然と言った独自の世界が広がるのです。
●歩いた後に一輪の花を咲かせましょう!
 古来から行われていた熊野詣でが「意識の再生の旅」だと、以前お話ししましたが、ただ健康のために歩くと言うものではありません。未知の自分と出会う道は、前に道があるのではなく、自分が歩いた後に出来ていくものなのです。あなたは、あなたらしい自らの道を歩んでいますか?あなたが歩いた後に、一輪の花が咲いていますか?
 一年の締めくくりにもう一度「道」を歩むことに想いを致してみましょう!
NPO法人 熊野生流倶楽部 代表 満仲雄二
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