【熊野通信】その六
 三寒四温の不安定な気候を経て、いよいよ「春」。万物がその生命エネルギーを芽吹かせる季節が到来しました。冬の間、一見して枯れて死んでいたように見えた草花や樹々達も、その枝や果実の芯からつぼみや若葉をふくらませ、循環再生しています。熊野と言う地は、元々この生命が循環再生する自然の仕組みを、聖地として内包していました。そこで今回は、熊野本宮に伝わる蘇生伝説についてご紹介します。
●身分や男女を問わず受け入れる熊野の神々!
 皆さんも百人一首などでよくご存じの、平安時代の歌人の和泉式部が熊野詣でをした時に、熊野本宮までもうすぐと言う熊野古道の伏拝王子に着くやいなや、月の障りになり穢れや不浄と言う価値観から参拝ができなくなりました。そこで式部は「晴れやらぬ 身の浮き雲の たなびきて 月のさはりと なるぞかなしき」と歌を詠み嘆きました。ところがその夜、夢の中に現れた熊野権現はこう告げたのです。「もろともに 塵にまじはる 神なれば 月のさはりも なにかくるしき」・・・熊野の神は「信不信を選ばず、浄不浄を嫌わず」と誠に大らかで、どんな人も平等に受け入れたのです。このことにより中世では、より罪業の深い者、病める者、虐げられる人々こそ、救いがもたらされるとして、蟻の熊野詣でが隆盛したのです。
●熊野で見事に蘇生した小栗判官(おぐりはんがん)
 その中でも特に、劇的に人の心を打った伝説が「小栗判官」なのです。お話しは罪を負った小栗判官が常陸国(茨城県)へ流罪となった時、領主の美しい娘照手姫と恋仲になり、それが領主に発覚し酒宴の席で毒殺されてしまいました。しかしその後、あまりに哀れに思った閻魔大王の裁きで小栗判官はこの世に戻されました。その首には送り状が付いており「この者を熊野本宮の湯の峰の湯に入れて回復させよ!」と書いてあったのです。一年もの間の土葬で全身腐り果てた姿の小栗判官は相模国(神奈川県)の遊行上人に助けられ、丸太を輪切りにした土車(箱車)を与えられ、名前を餓鬼阿弥陀仏とされ「この車を一回引けば千僧供養、二回引けば万僧供養」と書き添えてもらいました。こうして病み崩れた男の奇妙な道行きのドラマが始まるのです。
●善男善女の心ある人々のリレーによる奇跡の蘇生!
 親の供養や妻子の菩提のために、また功徳を積もうとするさまざまな人々の手によって、一歩一歩と東海道を西へ西へと小栗判官が乗った土車は運ばれていきました。美濃国(岐阜県)では、かつての照手姫も小栗の菩提のためにと、知らず知らずに山伏らと共に熊野の湯の峰まで引っ張っていきます。湯に投げ込まれた小栗判官は一七日で両眼が開き、二七日で耳が聞こえ・・・七七日で全く奇跡的に回復し、やがて罪も許されて美濃国の領主となり、照手姫とも結ばれたと言うことでした。
●あらゆる者を温かく受け入れる熊野は「癒しの郷 」
 日本最古の湯と言われる湯の峰温泉の「つぼ湯」は、今も一日に七度お湯の色が変わると言われています。歴代上皇や庶民達の湯垢離場(ゆごりば)として栄えてきたこのお湯は、泉源が摂氏94度という高温で湧いており、緑の山々が湯煙で白く霞むほど深山幽谷の不思議な景観を醸し出しています。熊野は千年以上の間あらゆる人々の心を懐深く受け止め、循環再生の場として人々を癒し続けているのです。
NPO 熊野生流倶楽部 代表 満仲雄二
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