【熊野通信】その拾四
 前回は、百人一首などの和歌で有名な藤原定家をご紹介しましたが、今回はその和歌に因み、森羅万象の宇宙や自然に通じる言霊(コトダマ)のお話しについてお伝えします。
●ふだんの言葉と言霊の違い
 その一言で励まされ、元気になり、夢を持てる。またその一言でがっかりし、腹が立ち、泣かされる・・・「言葉」とは本当に不思議なエネルギーを持っているものです。古代の人は洋の東西を問わず、言葉には精霊が宿り、その霊妙な働きによって、人々の幸も不幸も左右すると考えていたようです。キリストの「ヨハネ伝」にも「初めにコトバありき、コトバは神と共にあり、コトバは即ち神なり」とあります。一方古代から日本では、自ら発する言語に神霊を感じ、ふだんの言葉と区別して「言霊」と名付けていました。人間の心の中には、様々なモノや人を映す鏡があり、心の中にどんなものが映し出されていくかによって、いろんな気持ちになり、判断したり行動したり、好き嫌いや喜びや悲しみ、苦しみも映し出されていくのです。言葉は「しゃべる」と言い、お互い会話のように意識して頭で考えて話す、ふだん私達が使っている「話し言葉」なのです。しかしこれは言葉の記号、つまり外国語のように言語が変われば学習しないと通じません。言霊は息吹く(イブク)と言い、大自然と感応した「深い生命の波動」なのです。
●言霊のさきわう国・・・日本
 「天地(アメツチ)も動かすばかり言の葉(コトノハ)の まことの道をきわめてしがな」と明治天皇は、一日に40首程の和歌を息吹かれたそうですが、目耳鼻舌身の五感を通じて、第六感を会得する事が言霊を発する条件なのです。また万葉の歌人、柿本人麻呂も「敷島の日本(ヤマト)の国は言霊のさきはふ国ぞ・・」と、日本が言霊の溢れる国であると詠み、日本人はコトバのもつ呪術力に怖れと崇敬の念を持っていました。奈良の葛城山には、言霊の一言主(ヒトコトヌシ)と言う神様もおられ、まさに「良きも一言・悪しきも一言」で正邪を分け、日本語の言霊の持つ威力や在り方を示しています。
●意識と無意識のハザマで・・・!
 私達が夜、疲れて眠っているとき、一体誰が呼吸を司っているのでしょう?起きているときは、動くことも食べることも話すことも、自分で考え自分の思うようにしてみんな生きています。しかし、その食べたモノを消化するときや栄養を吸収するときは、一体誰が内蔵器官に指令しているでしょうか?私達の自意識の及ばない無意識の世界に、私達を休みなく生かしている生命はあり、森羅万象の自然とコミュニケーションをとってカラダを維持しているのです。言霊とは、この自然との深いコミュニケーションから生まれ「真のこころの声」を発するものなのです。
●こころの声に、耳を澄ませて・・・!
 現代人は超情報化社会の中で、携帯電話やパソコン・メール等のコミュニケーション手段に振り回され、ダイレクトに大自然や自らのカラダから、生命を感じるとるチカラが低くなっています。これでは自然から遊離するばかりで病気になって当然と言えます。今一度、自らのこころの声にじっくり耳を澄ませる時間をもち、自らを見つめる事を、大切大事にしていきましょう。
NPO法人 熊野生流倶楽部 代表 満仲雄二
その拾参         その拾五→