【熊野通信】その参拾四 《森羅万象を貫く光》
 前回では、バランスを失った人間社会は今一度「生命の法則」に立ち返らないと、再生していかないと言うお話しをしましたが、そのためには、一人一人の気持ちが「素直で清明なこころ」になることだとお伝えしました。
●自らの中にある光子体・・!
 私達の生きている大宇宙は、150億年前のビッグバンの火の玉から始まったと言われています。私達は日常その事を、ほとんど忘れ去って暮らしていますが、一人ひとりの潜在意識やカラダの遺伝子の元素には、その火の玉の光の記憶(コード)が刻み込まれているのです。しかし、私達にとっての一生を表す100年(世紀)や、さらに悠久の時としての千年紀は、壮大な宇宙の視点からは、ほんの一瞬の点の存在でしかありません。今、私達が地球環境や自然界を思うとき、この宇宙や地球・生命や人間の歴史の視点から、自らをあらためて位置づけて、自分の中にある光子体を見ることが大事だと思います。
●見えているモノは、すべて過去・・!
 一秒間に地球を7周半も進む光の速さでも、150億光年もかかる大宇宙・・つまり今、私達が見ている宇宙の果ての星の光は、150億年前の過去の姿であると言うことです。同じように、私達の目の前にある現実世界も、今まさに見るその瞬間からは、すべてが過去につくられた環境が、現実として私達の身の回りに現れている訳です。つまり私たち誰もが、150億年の悠久の時につながる「今」を移動し続けているのです。
●自らを離れて自分を見つめる時・・!
 かの有名なアインシュタイン博士は「宇宙には始まりがあり、終わりがありうる」と言っています。地球の終末と人類の終末の間には、時間的な尺度が全く違いますが、今、生命環境が危機に瀕している中、人間のパラダイスが地球と共に歩み続けられるなんて、錯覚を起こさないようにしましょう。今こそ、150億年の大宇宙と46億年の地球と、35億年も生き延びてきた生命の歴史の視点に立って「いったい私はどこから来たか?私とは何なのか?私はどこへ行くのか?」と、自らを離れて自分を見つめる時が到来しているのです。
●清明は遙かなる生命のキーワード
 そのキーワードが「清明」・・「清く明るく」と言う生命環境の意味は、青い水の惑星地球と日と月と言う字から構成されています。また最近、神話がほとんど忘れられていますが、日本神話の天の岩戸伝説は、こころの岩戸を押し開いて、光を出すことだったのです。さあ、こころを清く明るく澄まして、じっと森羅万象の自然の声に耳を傾けて、自らの中にある光を見つめましょう。
NPO法人 熊野生流倶楽部 代表 満仲雄二
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