【熊野通信】その拾七 《生命の根の国・熊野》
 厳しい冬を越えて熊野の森では、新しい生命がそこここに芽吹き始めています。今回は、森を通して自らを見つめる「根の国・熊野」のお話しをお伝えします。 
●浮き草稼業の現代社会・・・!
 昨年末から日本列島を駆け巡っている、耐震偽装問題は「列島の根っこが骨抜きになっていますよっ」と言う、一億総足元警告の信号と言えます。折しも東海・南海地方はじめ、いつどこで起こるかわからない大地震の恐怖を前にして・・。しかしこの暗示はまだ序の口で、年が明けてからは、もっと心の在り方や生命に対する存在価値観を問い直すような大事件が、次々後を絶たずに起こっています。
それは吹く風に任せて右往左往する「根の無い浮き草」のようなモノで、私達の「こころの根っこ」は、一体どこへ隠れてしまったんでしょうか?
●熊野は根の国・魂の宝庫・・・!
 古来熊野は「隠り国・根の国」と呼ばれ、森羅万象に聖なるものが宿る再生の地とされ、千年前には全国から「蟻の熊野詣で」が頻繁に行われました。このときも世は平安時代の太平の中で、平和ボケが続き「我よし」で、根っこを見失っていた時代なのです。「蟻の熊野詣で」は、古代ヒトの棲み処が森であり、森の動植物を生きる資源として生活をなり立たせてきた記憶を探る旅で、地球上のヒト達の90%が、もともと森の狩人であった事に起因しています。
 その森には、気の遠くなるようなヒトの知恵を超えた、永い記憶が保存されています。都会では、きれいな花や美味しい実ばかりの上っ面を追い求めることに必至になり、心地よい呼びかけに酔ってしまっています。その上で思案投げ首しても、根っこが忘れられているから、現代生活の矛盾から抜け出せないのです。
 森は人間にとって、精神的・文化的、また自然科学的・経済的に貴重な意味を持っているのです。それは、緑のない世界を想像しても容易にわかることです。殺伐としてこころが渇き、潤いが全く無い世界がそこに広がっているだけなのです。
●自分の根っこをしっかりと・・・!
 都市というコンクリートの森に棲む私達。「あなたの根っこは、一体どこにありますか?」・・・熊野の悠久の森に入って、その時間に浸って森の息を吸って、木の心や精霊と時には対話してみては如何でしょうか?きっとそこで、あなたの根っことの出会いがあると思います。
NPO法人 熊野生流倶楽部 代表 満仲雄二
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