【熊野通信】その五
 古代から脈々と「縄文の魂」を引き継ぐ、勇壮な「熊野の火祭り・御燈祭り」が、世界遺産になった新宮市・権現山の神倉神社で、今年も2月6日(旧暦のお正月)に、総勢2,200人の男達によって行われました。
 その意味は、自然の一員である人間が、大自然への畏敬の念とその恩恵への感謝とともに、広く人の世の平安を祈ると言う、新春に当たっての願いなのでした。さて今回は、その熊野に古来から伝承される「八咫烏(ヤタガラス)」についてご紹介します。
●ブームになった三本足の烏・・・八咫烏
 三本足の烏と言えば?・・皆さんは、サッカー「Jリーグ」のマークを思い出されると思います・・そう!(財)日本サッカー協会のシンボルマークが、熊野の三本足の烏で、その名前を八咫烏(ヤタガラス)と言い、熊野三山の守り神なのです。それは「日本のサッカーの始祖」とされる人物が、熊野那智勝浦町出身の中村覚之助であると言う事や、蹴鞠(けまり)を始め日本サッカーの草創期に貢献した熊野に因む人々との縁が、歴史的にも深いからなのです。二本の足で堂々と大地に立ち、三本目の足でしっかりサッカーボールを押さえている勇壮な姿は、W杯フランス大会初出場の日本代表の守り神となり、世界へ羽ばたき日本サッカー隆盛のきっかけとなったのです。
●熊野・八咫烏(ヤタガラス)の伝承
 元々「烏」は霊鳥として、世界各国の神話や伝承の中で語り継がれてきました。中国では湖南省の馬王堆(マオウタイ)と呼ばれる塚から出土した、二千百余年前の生けるがごとき女性の遺体の側の副葬品(彩色布)に「烏」が現れます。
 それには、金色の太陽の円の中に「烏」が住んでおり、下弦の月の上のうさぎの側にヒキガエルが描かれています。2,000年昔の古代中国では「烏」が太陽の使者と考えられ、太陽(陽の象徴)に対する月(陰の象徴)では、うさぎとヒキガエルが大切な役割を担っていた事を物語っています。
 また八咫(ヤアタ)の咫(アタ)とは、親指と中指を広げた長さを意味する尺度で、きっと八咫烏とは非常に大きな「烏」だったんだろうと思われます。
 日本の神話である古事記・日本書紀には、二千六百余年前、熊野灘から山越えして大和に入ろうとした神武天皇が、八咫烏の飛んでいく方向に進んで無事吉野を越え大和(石上神宮)に到着し世の中を平和に治めたと・・八咫烏の先導(道案内)ぶりが伝えられています。
●約束を守る!・・・「おからすさん」の智恵
 このように熊野と八咫烏(ヤタガラス)の結び付きは深く、霊鳥として熊野三山には、烏の絵文字で描かれた牛王宝印(ゴオウホウイン)と言う三種類の神符があります。この牛王宝印の札は霊験あらたかとされ、人と人が約束をする時の誓紙として使われ、もしその約束を破った時は、この誓紙を焼いてその灰を呑むと血を吐いて死ぬと同時に、熊野三山に住む森の烏が三羽血を吐いて死ぬと信じられていました。江戸時代では借用書や誓約書に使われ「おからすさん」と呼ばれていました。熊野の森の八咫烏(ヤタガラス)に学び、約束は守りたいものです・・・。
NPO 熊野生流倶楽部 代表 満仲雄二
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