【熊野通信】その参
 熊野の仕組みが、「自然循環」と言う大切な理(ことわり)に沿っていると言うこと、そしてその大切な心を熊野比丘尼(びくに)が、日本全国津々浦々に至るまで伝え歩いた事をお伝えしましたが、今回は新年を迎えるに当たって、古代から脈々と伝わる自然への畏敬の念とその恩恵への感謝とともに新年の平安を祈る「熊野の火祭り」をご紹介します。
●縄文の魂を引き継ぐ・・・お燈祭り
 「お燈祭りは男の祭り、山は火の滝、下り龍」と、熊野・新宮節にも唄われる日本有数のこの勇壮な火祭りは、新宮の中心・世界文化遺産でもある神倉山の神倉神社で、毎年2月6日(旧暦のお正月)に行われます。その起源は非常に古く、縄文時代にさかのぼるとも言われ、神倉山の中腹にあるヒキガエルに似た異様な形の「ゴトビキ岩」と言う巨大な磐座(いわくら)が、ご神体とされています。
 日本書紀では「天磐盾(あまのいわたて)」のこととされ、この磐座に降臨された熊野の神様が、山麓の熊野速玉大社にうつったことから、地名の由来である「新宮」と呼ばれるようになり、神倉山は「元宮」と称されるようになったと言われています
●魂を揺さぶる感動・・・下り龍
 お燈祭りの当日正午には、上り子と呼ばれる男達が「ゴトビキ岩」の見える大浜海岸で、黒潮の荒波に向い丁寧に禊ぎをして、食べる物も豆腐や白飯・白カマボコや大根おろし・白豆やお餅など、白いものしか食べず、白い頭巾をかぶり白装束に荒縄を男結びに締めると言う潔斎した姿で身を浄めます。
 夕刻から松明(たいまつ)を持った男達が、阿須賀神社から熊野速玉大社そして、熊野比丘尼ゆかりの妙心寺に参拝し、昼間登ってもかなり急峻な勾配の階段を神倉山に登って行きます。
 そして午後8時頃、ご神火が点灯されると次々と男達の松明に火がうつされます。山上の興奮がピークに達した時、山門が開かれ松明に火をかかげた、2000人程の男達が、五百数十段の自然石の階段を一気に駆け下りる光景は圧巻。その様子は、真っ暗な山腹に浮かぶ炎の帯となって、まるで山の上から火の龍が一気に下ってくるような不思議な光景となります。
●自然への畏敬の念と感謝のこころ
 この勇壮なお燈祭りが過ぎると、熊野・新宮に春が来ると言われています。その意味は、この祭りが行われる「時」に関係しています。12月下旬の冬至の頃、最も弱くなった太陽の光が、ちょうど立春の2月4日頃には少しづつ強くなってきたと感じられる時で、もっと太陽が燃えて欲しいと言う古代人の自然に対する素朴な想いが込められていると言うことなのです。
 季節感が失われていく現代社会にあって、自然に沿った生き方を今一度考え直すきっかけとして、古代から受け継ぐこのような儀式を通して学んでいきたいものです。
NPO 熊野生流倶楽部 代表 満仲雄二
その弐         その四→