その六拾 邂逅する熊野
【邂逅する熊野】
 今回でこの熊野コラムも、丸5年(60回)を迎え人生では「還暦」と言ったところです。第八感・第九感については、引き続き追ってお伝えする事にして、ここであらためて初心原点に戻り「今なぜ?熊野なのか?」について触れたいと思います。

>勧心十界曼陀羅
蟻と地球
●私たちは「自我をもった蟻」である!
 すでに「心の時代」と言われだしてから30年近く・・ようやくこの5年間、世の中は大きく変わってきました。せっせセッセと足元・目の前の金儲けに忙しい私たち働き蟻たちは、ここに来てふとまわりを見渡すと・・どうも「地球の環境や生物がおかしい?」 「社会の芯の仕組みがおかしい?」と気付き、蓋を開けてみると何と世の中は、ハチャメチャな状況で取り返しがつかないところまでになっていたのです。
 昆虫の蟻も普段、草むらや樹木につく虫などを求め、一生懸命エサを探し動き回っていますが、巣周辺の捕食環境が変わるとその樹木の根を見に行き、腐っていればさっさと巣を引っ越します。視点を変えれば地球という地平に繁殖している私たち人類と言う「自我を持った蟻」も、蟻と同じですが・・我良しの「わかっちゃいるけどやめられない病」の呪縛で生き方を根本から変えて再生することになかなかひとつになりません。そしてこの地球から引っ越す先が無いことは誰もが知っているのです。
●自我を消す蟻の大冒険・・熊野詣で!
 世は終末の様相を呈していますが、千年前「蟻の熊野詣で」と言われたほど、全国から根の国・熊野をめざして、老若男女がまるで蟻の行列の如く、ゾロゾロ長い道のりを歩いて訪ねていました。「一体なぜ?そんなに遠い辺鄙な場所をめざして、当時の人々はこぞって熊野へ行ったのでしょうか?」しかも上皇や貴族や老若男女の庶民たちも・・?
  その熊野の引力は、大自然が本来もっている「生命再生のエネルギー」だと言われます。頭でっかちになって人工的に自然をコントロールしたり、食生活変化の中で日常の自然な在り方・心構えや作法を忘れ、医療が発達したにもかかわらず、ココロやカラダの病気が蔓延する現代社会。生命の原点を失い自殺が世界最高水準の国には、古来から熊野という「生命再生の聖地」があると言うのに・・! 
●魂の甦り・生命再生をめざして・・!
 古くから神社には、神鏡が祀ってありますが、これは「自我を持った蟻」が、自らを映し出し「カガミ」に映る自分の「ガ=我」を消すことなのです。「カガミ-ガ=カミ」つまり自分をコントロールしている「我=我良し」を取ることに気付くことなのです。
 我が蔓延すると我慢を強いられ、かと言って「無我の境地」にはなかなか成れないものなので「小我」を目標に、生き方を変えなければ世界はひとつになりません。その魂再生の気付きときっかけを与えてくれるのが「根の国・熊野」だったのです。
 

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