その伍拾九 循環・・第七感
【循環・・第七感】
 前回は、カラダのセンサー(感覚器)である五感を通じ、その情報を総合的に判断する脳、さらにその研ぎ澄まされた状態の第六感のお話しをしましたが、今回は「第七感」のお話しを、熊野の曼陀羅に学んでみたいと思います。

>勧心十界曼陀羅
勧心十界曼陀羅
●心を観る・・熊野の曼陀羅!
 鎌倉時代や室町時代の頃に、熊野地方に「熊野観心十界曼陀羅(くまのかんしんじっかいまんだら)」と言う、死生観を大画面に表した曼陀羅があります。曼陀羅の真ん中には「心」と言う一文字が記され、誕生・成長・人生の頂点・衰え・老衰など、人の一生の歩みを絵解きする「老いの坂」や「閻魔王の裁き」「地獄・極楽の世界」が、極彩色で生々しく描かれています。
 その曼陀羅を携えて、16世紀頃に熊野比丘尼(くまのびくに)と言われる女性達だけのグループが、日本全国へ散って歩き、辻説法や村々の家を訪ね「こころの在り方」特に女性を対象に「生命の救済」を説いて回っていたのです。それは「あなたの心の持ち方しだいで、どこへ墜ちるか?わかりませんよ」と言う、ある意味「生き方」を俯瞰するこわ?い絵図(笑)に依る「絵解き」だったのです。
●目に見えない別の世界観・・!
 我執・固執・・ふだん私たちは、日常起こる様々なことに五感を通して感じ、あくまで経験に基づいて判断し行動しています。その中で、すでに過ぎ去ってしまった「過去」に、後悔してクヨクヨととらわれたり、未だ来もしない「未来」を心配のあまり不安になった りして、結局今の大事なこの時を、生きていないように思います。
 良きも悪しきも、幸も不幸も、成功も失敗も、長所も短所も表裏一体で切り離すことのできない一つのモノで、すべては循環しているから、現象をありのままに受け入れることこそが大切なのです。
 熊野曼陀羅でも、心を観るための十界(十の世界観)すなわち「覚りの四界」と「迷いの六界」に分けています。そのほとんどが、私たちの目に見える五感や意識の六感の世界観だけでは無く、人間の世界はその極く一部分としています。
●第七感とは・・!
 五感の趣味趣向の移ろいやすい世界や、我による惑いやすい世界に居ながらも、真理の法則に耳を傾け、すべての苦悩や迷いの原因から抜け出した状態を「縁覚(えんがく)」と言います。その前の状態を「声聞(しょうもん)」と言いますが、自分へのこだわりを捨て、自らを離れて真理の声を聞こうとする心の状態を言います。
 すべては心の動きであり、それを浄化するのもまた心なのです。曼陀羅の中央に書かれている「心」の文字は第七の感性・・つまりこの世だけが全てでなく、次元の違う世界があることをハッキリと認識して、その別次元からの「目に見えない周波数を素直に受け取り、そして聞く態度」にあるのだと思います。その声は、地球や宇宙や私たちを包んでいる大自然や遺伝子の内側からやって来ます。
 

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