その伍拾参 流動・・波の教え
【流動・・波の教え】
 前回は、流動をテーマに常に流れ続けている「滝」をお伝えしましたが、その後迷いや 悩みの心が洗われ滝の水すだれの向こうに「もう一つの扉」を見つけることができました か?・・今回は、黒潮の海の「波」に学びたいと思います。

流動の波
流動の波
●声の波動に呼応する荒波
 毎年2月6日の正午には、熊野・新宮の王子が浜の同じ浜辺に立ち、褌一つで火祭りの 禊ぎを20数年していますが、打ち寄せる荒波の中に身を置き祝詞を上げていると、それまで静かだった波が、声の波動に共鳴して水平線の彼方から大きなうねりとなって、まるで生き物のように一気に身体を砕いてきます。
 大自然の海と自分がピッタリと呼応してつながっている不思議さを実感する瞬間です。
●どこまでが陸で・・どこからが海か?
 また熊野の黒潮の海辺に、静かに座って打ち寄せる波をじっと見つめていると、その海と陸の境界線が不鮮明なことに「ふと!」気付きます。地図で見ると陸と海の境界には、一本の線が引かれ区別されていますが、実際にその浜辺に立つと、陸と海の境界は常に揺れ動いているのです。
 これを「無境界現象」と言いますが、最近世の中を見ていると、どんどん関係が無境界化してきているように感じます。世界のすう勢もそうですが、国と国や民族と民族、また言語や習慣などもどんどん境目が無くなっています。つまり、それは逆に「らしさ」が揺らぎの中で希薄になり、アイデンティティが失われているのではないでしょうか?
●ますます問われる存在意義(アイデンティティ)
 最近、女性と男性の傾向も、女性は肉食系女子とか、男性は草食系男子などと呼ばれ、女性と男性の静と動の役どころが、根底から転換しているように思います。また、子供が携帯電話を我が物顔に利用するおかしな世の中が進めば進むほど、超情報化社会の中で、個人や家庭と社会の境界が失われ「らしさ」が崩されていきます。
 永遠に寄せては返す波が、固い岩をも壊し岩石を丸く磨いていくように、揺らぎの中で世界がグローバルに広がれば広がるだけ、それを「それたらしめる」存在意義(=らしさ)が、逆に問われているように思います。
●生々流転する波に託して生きる・・!
 波は次々とくり返し淡々と永遠に押し寄せます。荒い波も穏やかな波も、冷たい波も温かい波も、その年々によって波のかたちは変わります。人の世も同じで、その年の大自然の気候の波によって、食物自給の波や景気の波を始め社会が大きく揺れるのです。波の一つひとつに一喜一憂せずに、永遠に続く波に託して生きていきましょう!

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