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その85「人生に熊野を・・(7)」

前回は、大自然の仕組みである、火水(かみ)から水火(みか)へ気象バランスが移行している、大自然からの転換のサインを見逃さず、しっかりと受け止めていきましょう!と言うお話をしました。

所有の転化点!

わずかにここ100年足らずの近代から現代、そして今の今に至るまで、わたしたちは「所有」こそ、豊かさの象徴的な根源のように捉えてきました。

また、モノやサービスなどを提供する側は、あらゆるモノを所有することによる、喜びや楽しみ方を必要以上に美化・助長し、そのモノを消費する私たちは、豊かになるた めに、あらゆるモノを所有することに、一生懸命に憂き身をやつしてきました。

自分のカラダでさえも、自分のモノ、、つまり自分の所有物と思っており、もし何かあったら・・・!と言う不安なココロから、いのちにも相応の値段を付け、いのちまでもお金で割り切れる社会になっています。しかし誰一人、生まれた時に、カラダのシステム使用料を払っていませんから、実際は所有しているつもりでも、我が身に非ず。 無償で借り受けしているのですね。

溢れるモノと、物足りないココロ!

一年前の3.11東北大震災は、一瞬にしてすべてを失う情景から、「所有すること」の虚しさを、肌身に染みて教え、捨て去ると言う智慧の豊かさを、しっかりと伝えていると思います。また、その豊かさの根源的な動力源になっている原子力発電の災害は、手に負えないモノを手に入れて、まだ、さらなる豊かさを追い求める、私たち社会への 自業自得の姿を現したと思います。

すでに、あらゆる利便やモノを手に入れても、なお「モノ足りて、もの足りぬココロは・・・如何に?」

一遍上人・・・素直な心のままに!

「所有」の反対は「捨てる」と言うことですが、室町時代の仏教の一派で、「時宗」を興した一遍上人は、まさに「捨てる達人」でした。ある時、お札を配りながら熊野を訪ねた一遍上人に、熊野権現が現れて、「信不信を選ばず、浄不浄を問わず、ただ念仏札を配りなさい」と言いました。お札を受け取る?受け取らない?にこだわっていた一遍上人は、自分のその考えも捨て去り、覚醒したと伝えられています。

「捨てて、捨てて・・・捨て去って!」真のココロの豊かさや、自由にして無碍な大自在のココロに生きた一遍上人は、次の様な歌を詠んでいます。「花はいろ 月はひかりと ながむれば こころはものを 思はざりけり」今一度、「捨てる」と言う事を考えるためにも、熊野に身を置き自然(じねん)を深く見つめるのも、良いのではないでしょうか?

その84「人生に熊野を・・(6)」

その86「人生に熊野を・・(8)」

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